歯科医療の歴史03

今日は一日中雨でしたね~。函館では大きな地震があったとのことで、大きな被害がなければいいのですが詳細が気になりますね。。。

さて、前回は江戸時代の歯科医療について、民間の歯痛薬「塩ナスビ」をご紹介しました。今回は明治時代からの歯科医療についてご紹介します。
 
前にもお知らせしましたが、江戸時代には香具師や口中医が歯の治療(主に抜歯)を行っていました。そして歯が無くなったら仏師や入歯師が義歯を作製する。という、医学を修めていない職人的な方が歯科医療を担っていました。
 
現在の日本で行われる医療行為は、その多くが西洋から取り入れられたもので、歯科医療に関しても同じことが言えます。
明治政府は1874年(明治7年)に近代の(西洋の)医事衛生制度を導入する目的で「医政」を発令。翌年に行われた第1回の医師開業試験において、小幡英之助(おばたえいのすけ)という人が「歯科を専攻とした医師」として合格。実質、日本初の歯科医師が誕生しました。
 
小幡英之助は1869年(明治2年)に福沢諭吉主宰の慶応義塾に入り医学を学び、横浜で開業していた米国人歯科医師エリオットに従事し、「西洋式歯科医療」を学んでいました。
この小幡英之助ともうひとり、日本の歯科医療の歴史で必ず出てくるのが、高山紀斎(たかやまきさい)という人物です。高山紀斎は備前国岡山藩(岡山県岡山市)出身の人物で、幼いころから文武両道・質実剛健の気性の持ち主だったとあります。
 
さらに前回のブログで登場した磯田道史氏(武士の家計簿の著者)のご先祖さまが、高山紀斎に素読を授け儒教を教えた人物なんです。ちなみに磯田氏も岡山市出身で、しかも生家は滝歯科医院からすぐ近くだったりします。
 
「歯科と岡山」。思いもよらぬところでつながりますね(笑)さて話をもどします。
 
高山紀斎は持ち前の気性で勉学にも励み、1869年(明治2年)には福沢諭吉主宰の慶応義塾に入社。その後米国へ留学。ところが留学中に激しい歯痛に見舞われ、後の恩師となるバンデンボルグの「西洋歯科治療」に触れ、門下生になったとあります。そこで日本にも歯科医学教育が必要だと強く認識し、自らは歯科医になることを志し、ついに米国の歯科医術開業試験に合格しました。
 
1878年(明治11年)に帰国した高山紀斎はすぐに「高山歯科診療所」を開設。これがのちの東京歯科大学の前身となります。高山紀斎はすでに西洋式歯科医として開業していた前述の小幡英之助らとともに、日本歯科医師会を設立し初代会長に就任。
 
黎明期の西洋式歯科医療はこのようにして築かれていきました。民間の塾が現在の歯科医療の始まりなんですね。私自身とっても勉強になりました!!
 
最後まで読んでくださってありがとうございました!
次回からも歯科医療の歴史について、また別の角度からお知らせしたいと思います!